台湾から日本に帰国した時の事を、お伝えしたいと思います。
8月16日帰国✈️
帰国に際し、飛行機搭乗時間の72時間以内にPCR検査を受け、陰性証明を用意しなければなりません。
実はここに落とし穴があって、3日前の検査なら大丈夫と思っていたのですが、出発便は午後2時の便で検査予約の時間は搭乗3日前の午前10時で、正確には搭乗の76時間前。
主人がその事に気付き、翌日午前中に空きがあり、予約を取りなおしました。
検査自体は、今回は子供2人は鼻から細い棒を挿して検体を採取するのではなく、喉の粘膜を綿棒で採取し、検査できたので、負担が軽く助かりました。
ただ、陰性証明が翌日夜7時以降に準備ができるというので、時間通りに取りにくいと、今回も前回同様、病院から発行された陰性証明の記載内容に間違いがありました。
息子の生年月日が全く違う日付になっていました。台湾の人は大らかなので、こういう事はよくあります。
空港のチェックインカウンターで気がついても時遅しです。
お陰で、陰性証明を時間通りに受け取れず、8時前には帰宅して、寝かしつけ、翌日の出発に間に合うようにパッキング!と思っていたのですが、予定が大幅に狂ってしまいました⏳
私もそうですが、子供たちも寝不足になってしまいました。
それでも、なんとか、翌日、バタバタしながらも、羽田空港に到着。
再び空港でPCR検査。
台湾同様、幼児は検体を喉から採取してもらいたかったのですが、鼻からの採取となり、案の定、2人とも大泣きでした。
0歳児と1歳児に短期間に2度も検査させる事に意味あるのかと思ってしまうのですが。
ちなみにアメリカなどは2歳以下は、陰性証明必要ないようです。合理的🙂
その後、My SOSとCOCOAというアプリを携帯に強制的にインストールするよう促されます。
そして、位置情報はOnに設定。
My SOSのアプリを通して、健康状態及び居場所報告を2週間毎日するように言われます。
また、サイレントやマナーモードにはせずに、かかってくる電話には出て下さいとの事。
この事に同意しないと、入国させないと、誓約書まで書かされます。
このアプリには、ほとほと参りました💦
2人育児をしていると、相手のタイミングでかかって来る電話にはなかなか出られないです😂
1つはこのように、枠の中に顔を映して下さいという自動音声電話が毎日かかってきました。
30秒間、撮影するというのです。
それ以外にも、毎日、検査員が実際にビデオ電話をかけて来るのですが、顔を見せて下さいと言われます。
でも、相手は顔を出していません😳
最初にこの電話がかかって来た時、私は上の子にご飯を食べさせながら、下の子に授乳をしていました🤱🏻
育児でボサボサになった髪、すっぴん、メガネ、授乳パジャマのまま、何とか電話を取り、相手の指示通り自分の顔を映しました。
誰だかわからない相手に、誰にも見られたくない姿を見せたのです😔
正直、とても嫌でした。
次に、家族全員の生年月日と名前を言うように言われました。
答えると、今度は子供2人の顔を映すようにと言われました。
まずは、ご飯を食べている最中の上の子を映しました。
「お食事中、ありがとうございます」と言われ…
次に下の子を映すように言われたので、授乳をやめて、私の胸元を隠してから、抱っこしている下の子の顔を映しました。
「お忙しいところ、ありがとうございます」と言われ…
電話を切った後は、正直、覗きにでもあったかのような気分になりモヤモヤしました。
その後も、現在地を報告するようにと毎日何度も通知が来たりで、忙しいのに良い加減にして!!と、心の中で私の方がSOS出していました🆘
実際問題、0歳児と1歳児が親元を離れ、外出するとも思えませんし、外出したとして、どのようなリスクがあるというのでしょうか?
しかも、このために1万人以上雇っているというのですから、税金の無駄遣いとしか思えません。
日本では、今、陽性と判明しても、保健所から連絡が来るのは何日か後、しかも、陽性患者と狭い空間でずっと一緒にいても、検査もなし。
陽性患者をトレースすらせず、同じ屋根の下で生活でもしない限り、濃厚接触者扱いもしないと聞きます。
にも関わらず、陰性証明を持っている人を2週間、一生懸命、外出できないように監視する意味ってあるのでしょうか?
とにかくオリンピックのせいで、コロナが酷くなったわけではないと証明したいのでしょうか?
台湾では、建物に入ったり、乗り物に乗る時、QRコードをかざしてからでないと、出入りできないようになっています。
建物の入り口や座席に貼ってあるQRコードに携帯をかざすと、自動的にショートメッセージが政府に送られる仕組みになっていて、陽性患者が出たときに、濃厚接触者をトレースできる仕組みになっています。
こう言った仕組みのおかげもあり、台湾でも一時は連日、400人を超える新規感染者が発生しながらも、再度新規感染者なしという状況に戻せたのだと思います🇹🇼
My SOSやCOCOAなどを強制的にインストールさせることより、台湾と似たような仕組みを導入した方がずっと効率的なのにと感じた2週間でした🇯🇵
#水際対策 #コロナ #2人育児
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 16歳から27歳まで付き合って、 うち6年同棲してた彼氏に フラレたこと 私は親が離婚して父子家庭& 一人っ子だから、 早く暖かい家庭を築きたくて、 彼氏にいつもそう話していた でも大学4年生のとき、...
2歳 思い通りにならないと泣く 在 Facebook 的最佳貼文
【赤ちゃんが生まれました💕】
余命宣告を受けた男、平川翔と優月の間に新しい命が誕生しました💕💕
僕は翔からその報告を聞いて、久々に誰かの幸せで泣きました。
その後、優月からのメッセージがきて更に号泣してしまいました・・・。
今日はそんな優月から教わった、幸せになるためのとっておきの方法をお伝えしちゃいます(≧∇≦)❤️
<目次>
1.余命宣告を受けた男
2.僕たち、結婚します!
3. 優しさと愛情でできている子「優月」
4.自分の人生を自分で選択する
本題に入る前に、お知らせです(≧∇≦)
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【話し方の学校】の入学体験講座を開催しますっ*\(^o^)/*💓
7月15日(木)19:00〜21:00(大阪)
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7月17日(土)14:00〜16:00(博多)
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大阪はなんと‼️ 現時点で【86名】の方がご参加予定です💓
福岡も【37名】の方がご参加予定(≧∇≦)💕
話し方の学校 福岡校での開催は次の期が最後となります‼️
体験講座も次回が最後の予定です💕
そのため九州地方の方や四国・中国地方にお住まいの方で「話し方の学校ってどんななんだろう」と興味のある方は、
7月17日(土)14時~福岡にお越しください*\(^o^)/*💕
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▼ 余命宣告を受けた男
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今日はどうしても伝えたいことがあります!
身内の話をします(≧∇≦)❤️
東京カモガシラランド1人目の社員はヒロキングだったのですが、2人目に入社してきたのが「平川翔」です!
翔がちょうど30歳になる頃に、うちの会社に入社してきました。
まず、翔の人生をめちゃくちゃ短く喋ってみますね。
子供の頃、バレーボールに熱中して「オリンピック選手になりたい」という夢をもって取り組んでいました。
しかし、肺に穴が開いてしまい、その夢は断たれました。
ちょうどその頃、家の経済状況が非常に苦しくなってお母さんから
「翔、アルバイトしてくれない!?」
と言われてアルバイトをするようになりました。
そしてそのお金を全部家に入れて、弟や妹の給食費をみんなで頑張って稼ぎながら生活していました。
社会人になる時に、自分が肺に穴が開いてドクターストップがかかってしまった経験から
「自分のように、体の問題で夢を諦めなければならない子供達を救いたい!!!」
ということで、自分で独立して整体院をオープンしました!
そんなタイミングで、ちょうど自分の頭が痛くなって、入院をしている時に整体院が火事になってしまい、借りたお金を返す当てが無くなりました。
しかもその時、頭が痛くて通っていた病院で衝撃の事実がわかります。
翔は原因不明の脳が収縮する病気だったのです。
「この事例では35歳まで生きている人がほとんどいない」
と言われて、実質的な余命宣告に近い形になりました。
翔は「あと5年で死ぬんだ」と思うようになりました。
そんなタイミングで僕がやっていたイベント「私は自分の仕事が大好き大賞」にそれまでボランティアスタッフとして参加してくれていたんですが、僕から連絡をして
「お前が死んだら、なんか後味悪いから登壇しろ!!!」
と伝えて、翔は自分が余命宣告されたことによって自分の生き方が逆に明確になったという、素晴らしいスピーチをパシフィコ横浜の壇上でしてくれました。
(平川翔のスピーチはこちら→)https://youtu.be/DnTQU6La1fg
そのイベントが終わったタイミングで翔が
「鴨さん、僕、地元長野に帰っても自分の整体院は燃えちゃったし、借金取りに追いかけられているし、大好きな大嶋啓介さんとか鴨さんとかと一緒に全国を回りたい!!!」
そう言ったので、僕も決めました。
「じゃあ2週間以内に引っ越して来い!!うちの会社に入社しろ!!」
そんな感じで、翔は東京カモガシラランドに入社してきました(≧∇≦)💕💕
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▼ 僕たち、結婚します!
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そんな翔と出会ってくれたのが、優月。
話し方の学校に入学してきた、ものすごく賢い子でしたが、当時の優月の印象は
自己否定の塊の女の子でした。
僕の中で優月とシンクロすることが多くて、例えば誰も見ていなかった「泣くな、はらちゃん」というドラマを見て泣いたとか、
主義主張が似ているところがあって、鴨頭嘉人も今は人工的ポジティブ野郎なんですが根っこは「自己否定」する自分でした。
優月にも同じものを感じました。
この子は一生懸命努力して改善もしているが、根っこは鴨頭と同じ自己否定の塊だったんじゃないかと思いました。
そんな優月が翔とお付き合いをするようになりました!
そして、話し方の学校を卒業する時にみんなの前で
「僕たち、結婚します!!!」
といきなり発表をしたのです(≧∇≦)❤️
それがプロポーズでした💕💕
その後、優月はその場でお父さんに電話をしました。
「お父さん、私結婚するから!」
「誰とだ!?」
「平川翔っていう人!!」
お父さんは
「誰だそいつは!!!」
と思って、優月のお父さんはめっちゃエゴサーチする人で「平川翔」を検索しました。
そして、パシフィコ横浜で「自分は余命宣告されている」というスピーチを見てしまいました……。
そのスピーチ自体はすごい良いスピーチなのですが、「結婚する人なの!」って言われたお父さんにしてみれば最悪のスピーチなわけです(笑)
「何で余命宣告されて、あと何年かで死ぬかもしれない男と手塩にかけて育てたうちの娘が結婚しなきゃなんないんだ」
って……お父さんだったら、思いますよ。
それでも、本当にいろいろとあって、乗り越えて……
優月は今までちょっと疎遠になっていたお父さんとの関係を、丁寧に丁寧に修復しました。
きっとお父さんも断腸の思いだったと思いますが、やがて結婚を許してくれるようになって、二人は結婚しました!
2人の感動の結婚式で、僕が主賓挨拶を務めた動画もぜひ観てみてください💓
(※こちら→)https://youtu.be/vbULOO2Oa64
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▼ 優しさと愛情でできている子「優月」
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結婚するちょっと前、優月に聞いたことがありました。
「優月、翔と結婚してくれることはとっても嬉しいんだけど、1つだけ確認したいことがある。
もし子供ができたら、お前どうするつもりだ?
もし子供ができても翔はいなくなっちゃうかもしれないんだよ。」
そう言ったら、優月は当たり前のような顔で答えてくれました。
「そんな幸せなことはありません!!
だって翔さんがこの世に生きた証を残せるのは私しかいないってことですよね!!」
そんなふうに言ってくれたんです。
ありがたくてありがたくて・・・。
嬉しくて嬉しくて・・・。
優しい月と書いて「優月」という彼女はまさに、優しさと愛情でできていました。
そんな優月がついに、翔の子供を出産してくれました(≧∇≦)❤️
僕は翔から報告を聞いて、久々に誰かの幸せで泣きました。
その後、優月からのメッセージがきて
「昔の私だったら考えられないくらい、たどり着けると思えなかった幸せの場所に今私はいます!!!」
そんなメッセージが届きました。
優月、本当に素晴らしい選択をしてくれてありがとう!!!
そして、決して男には絶対に逆立ちしてもできない出産という偉業。
命を生み出すという偉業を成し遂げてくれて、本当に感謝しています。
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▼ 自分の人生を自分で選択する
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幸福についての調査データがあります。
日本国内で2万人にアンケート調査を行い、年収、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つについて幸福感とどれぐらい相関関係があるかという調査をしたところ
1番、健康
2番、人間関係
3番、自己決定
でした。
つまり、「自分の人生を自分で選択する」という自己コントロール制が、幸せと大きな関係があるということです!!
まさに優月は常識や周りの声に惑わされず、自分の人生を自分で決定したからこそ、信じられないくらい幸せな場所に今いるんだと思います!!
優月、本当にありがとう。
君は最高の女性です。
本当に、おめでとう!!!
それでは今日という最高の一日に、、、
せーのっ!いいねー❤️
ばいばい💕
本日のVoicy個人スポンサーは
『鴨頭さんとのYouTube対談のお陰で奇跡が起こりました。心より感謝申し上げます。「働く女性の応援団長」アサクラチエコより。鴨頭さん大好きです。』さんの提供でした❤️
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2歳 思い通りにならないと泣く 在 Facebook 的最佳解答
【今日の記事は特別編‼️鴨頭嘉人の過去を語ります。️】
コンプレックスは、武器になる‼️
コンプレックスに悩んでいるすべての方に伝えたいです。
「コンプレックスなくして、輝ける人なんていない!」と。
今日は僕の新刊『コンプレックス・リベンジ』の販売日です💓
発売を記念して、本の内容からごくごく一部を公開します(≧∇≦)❤️
今まで講演会やYouTubeではあまり語ることのなかった内容なので、是非お楽しみください!!
本題に入る前に、お知らせです*\(^o^)/*
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【話し方の学校】の入学体験講座を開催しますっ*\(^o^)/*💓
リアル参加が難しい方はZoom参加もできますので、ぜひご参加くださいっ♪
6月19日(土)11:00〜13:00(大阪)
7月15日(木)19:00〜21:00(大阪)
7月17日(土)14:00〜16:00(博多)
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【ビジネスYouTuberの学校】の入学体験講座を開催しますっ*\(^o^)/*💓
リアル参加が難しい方はZoom参加もできますので、ぜひご参加くださいっ♪
6月30日(水)18:00〜20:00(東京)
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7月10日 (土)、11日 (日)の2日間で
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『コンプレックスリベンジ』~僕はいじめられっ子だった~
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▼引越し当日は沖縄返還の日
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施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された当時の沖縄は、車は右側通行で、通貨は円とドルが混ざっていました。
荒れ果てた街は水道も整備されていなかったので断水は日常茶飯事。
消防所から水をもらわないとトイレを流したり、お風呂に入ったりする水がないような状況でした。
そんな貧しい状況で、戦後初めて沖縄に作られた豊見城団地での生活が始まりました。
幼稚園に通い始めた初日、僕は名前ではなく「ヤマトンチュ」と呼ばれ、殴る蹴るの暴行を受けました。
「ヤマトンチュ」とは、本土の人間という意味です。つまり、「ここにいるべき人間ではない」と周囲から総攻撃を受けました。
当時貧困の中の沖縄の住民はボロボロのTシャツと擦り切れた靴しか持っていませんでした。
そこに、襟つきのシャツにお洒落なズボン、靴下と新品の靴を履いた僕の姿を見て許せなかったのでしょう。
毎日ボコボコに殴られて、自転車に乗ってる姿を見られると殴る蹴るの暴行を受けて、自転車は奪い取られて家の車は2年半の間に5回盗まれました。
小学校に上がる頃にはさらにエスカレートしていきました。
平和な日常も、もちろんあったと思うのですが、僕の記憶に残っているのは殴られ続けて物を奪いとられたことだけ。
沖縄での2年半は、恐怖の記憶しかありませんでした。
小学校の授業が終わると、同じ学校に通う兄貴が「嘉人、帰るぞ」と教室まで迎えに来てくれました。
でも、「外に出たらやられるんだ」と言って、ずっとうずくまっていた光景を今でもうっすらと覚えています。
こんなこともありました。
体育館の裏で5, 6人に囲まれて、「股裂きの刑だ!」と言って、足を両方から引っ張ります。
「やめて!」といくら言っても、やめてくれない。
股から血が出始めて、僕は泣き叫び、先生が慌てて駆け寄ってきました。
しかし、先生は見て見ぬふりをしてそっとその場から去っていったのです。
「そうか、ここには僕を助けてくれる大人は誰もいないんだ。」
痛みを感じながら、虚しさが押し寄せてきたことを覚えています。
僕のことを助けてくれるのは、兄貴だけでした。
僕がいじめられている時兄貴がたまたま居合わせてくれたら、いじめっ子たちを兄貴が蹴散らしてくれました。
だから、ずっと兄貴から離れられなかった。
ずっと兄貴の金魚のフンのようについていました。
でも、兄貴がそばにいない時「お前、兄ちゃんに金魚のフンみたいにくっついて本当に意気地のないやつだな!」とボコボコに殴られる…その繰り返しでした。
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▼家族にも打ち明けられなかった、鴨頭少年
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そんな中でも家に帰ったら僕は明るく振る舞っていました。
「親父とお袋にはいじめられていることを知られたくない」と思っていたからです。
いつもおどけていました。
ものまねをしたり、ふざけたり、とにかく両親を笑わせていました。
すると、お袋は僕に言います。
「ほんとにあんたは面白い子ね」と。
お袋は僕に気を遣って言ったのか、ほんとにそう思っていたのか分からないです。
でも「あんたは面白い子ね」って言われると、「自分はここにいてもいいんだ」って思えたんです。
親父が8ミリカメラを買ってきた時、カメラを回すと兄貴はかっこつけるけど僕はいつもおどけていました。
親父とお袋が笑ってくれる姿を見たかったからです。
毎日学校で殴られ続け、辛い思い出しかない沖縄ですが、驚くことに当時の写真を見ても僕は満面の笑顔で写っています。
両親が笑っている姿を見て「あーこれでいいんだ」って自分に言い聞かせていました。
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▼体に起こった異変
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そんな僕の体に異変が起こり始めました。ある日学校に行ったら声が出なくなってしまったんです。
ずっと塞いだまま、何もしゃべらず、授業中に発言を求められても、何も言わない。
喋ろうとするそぶりは見せても、声を発しない僕の姿を見て、さすがに心配したのか「鴨頭君大丈夫なの?」と休み時間に先生に声をかけられました。
でも、声が出ないのです。
いわゆる失声症でした。
そして、僕は小さい頃から体が弱く、週に2, 3回は熱を出していました。
あまりに頻繁に体調を崩し、特にひどいときには「僕はこのまま死んじゃうの?」と不安な気持ちをお袋にこぼしていました。
今考えると体が弱いことももちろんですが、ここまで頻繁に体調を崩すのは心が弱かったことが原因なのではないかとも思います。
僕の3歳年上の兄貴はスポーツ万能。小さい頃から野球好きの親父からスパルタ英才教育を受けていました。
小学校の時から兄貴は晩御飯の前に3キロのランニングが課せられていました。
いつも兄貴にくっついていて兄貴と同じことをやりたかった僕はランニングについていこうとしました。
でも体力的にも精神的にも強くなかったから走れないのです。
そのたびに、あーやっぱり僕はダメなんだ。
また迷惑をかけていると自分で自分を卑下していました。
親父と兄貴がキャッチボールをする時も「嘉人も行くか?」と誘われはするものの、「今日はお腹が痛いから」と仮病を使うようになりました。
本当は一緒にやりたいのに野球が下手な自分が嫌になり、2人の邪魔をしてはいけないと思うようになったのです。
そして「お腹が痛い」と言い続けると、本当にお腹が痛くなるようになりました。
「僕は体も弱いんだ。僕はやっぱりダメなんだ。」と、自己肯定感もどんどん低くなっていきました。
そして「僕なんかは生まれてこなければよかったんだ」
僕はだんだんと心をふさぎ込むようになりました。
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▼布団の中のスーパーヒーロー
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幸せを感じることができるのは、布団の中にいる時だけ。
僕はいつしか、”布団ワーク”と名付けた妄想ゲームを毎日繰り返していました。
学校から帰ってくると、布団の中に潜り込みます。
そして、生まれ変わった自分を想像するのです。
いじめられている子を見ると、「やめろよ」と言っていじめっ子たちを蹴散らし、弱い人を守ってあげる。
運動会ではリレーの選手になって、みんなに「頑張れ!」って応援されてみんなから頼りにされている。
たくさんの友達に囲まれていて、笑顔で、はつらつと毎日明るく過ごしている布団の中の僕は、スーパーヒーロー鴨頭嘉人なのです。
でも現実の僕は毎日いじめられて本当はクラスメートに「友達になって」って言いたいのに言葉を発することすらできない。
理想と現実の大きすぎるギャップを感じながら沖縄に引っ越してきた2年半。
1人も友達を作ることができませんでした。
この沖縄でいじめられた経験こそ、その後の僕の人生を決定づける原点のようなものだった気がします。
この時感じたコンプレックス、弱い自分、そしてそれを打ち消すために毎日やっていた”布団ワーク”それが今の鴨頭嘉人をつくりだしたのだと思います。
僕がひどいいじめを受けていた時に感じていた違和感は、思っていることを言葉にしなかったから起こったものでした。
勇気を持って言葉にすれば人生が切り開けることがわかりました。
そしてネガティブは悪い事ではない、ネガティブは強さだと思うことで勇気が沸き起こってくることもわかりました。
振り返ってみて気づいたことがあります。
沖縄時代にずっと繰り返していた”布団ワーク”あの布団の中で思い描いていたスーパーヒーローは、まさに今の鴨頭嘉人です。
「鴨さんと一緒にいれば大丈夫だ」そう言われる人間になりたかった。
僕の中でのスーパーヒーローの定義は弱い人を守れる人なんです。
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▼鴨頭嘉人の原点
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独立してから始めたハッピーマイレージという活動は、サービス業で働く人を輝かせるためのものです。
サービス業で働く人たちは世の中では弱い人と見られてしまうことがあります。
アメリカでは低い地位、低賃金、単調、重労働の職種を卑しめて”マックジョブ”という言葉があり、特にファーストフード店での仕事は独創性がなく機械的な動作を繰り返すだけと揶揄されています。
でも、僕は自分の土台となり働き方の原点ともいえるマクドナルドの仕事を誇りに思っています。
これだけ素晴らしい仕事はないと思っているのに、認められない。
それどころか価値のない仕事だと批判めいたことを言われてしまう。
その現状に納得がいきませんでした。
だから、サービス業で働く人の価値を、世の中全ての人たちが認知できる社会を作りたい!
そのためにハッピーマイレージの活動を始めました。
講演家とは、心が弱くなっている人に勇気を与えるメッセージを届ける仕事です。
講演で僕が話した内容は僕の成功体験から来る自慢話ではありません。
度重なる失敗から学んだこと、その時救いの手を差し出してくれた方の温かさ、挫折を乗り越えた先に見えてきたものをお伝えします。
くじけそうになっている方々に「かつての僕もそうだった。でも大丈夫。きっとうまくいく」と勇気を持って一歩踏み出すサポートをする役割を担っています。
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▼子どもの頃に憧れた、自分になっていた
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僕は今、”鴨Biz”と言うビジネスを学ぶためのオンラインサロンを運営しています。
そこでこんなことを言っていただけるようになりました。
「新しく会社を立ち上げます。社名を鴨さんに付けてもらえば、絶対にうまくいくので、名前を決めてもらえませんか?」
「新しくビジネスを立ち上げることを決断できました。
どういうお客様に売って、どういう価格設定にするかはここで学んで何とか組み立てることができるようになりました。あと1つ足りないのは勇気だけなんです。
鴨さん『お前なら大丈夫』と私に言ってもらえませんか?」
みんな最後は僕の言葉があれば大丈夫だって思ってくれているのです。
誰か困ってる人がいたら声をかけてあげられる、落ち込んでいる人がいたら勇気づけてあげられる、まさに今の僕の原点は、あの布団の中でイメージしていた僕です。
実は幼少期の頃に僕の中での人生の理想像は出来上がっていたのです。
度重なる失敗と挫折を経験して、たくさんの助けがあって乗り越えていきました。
歳を重ね経験を積み重ねるにつれて僕は小さいときの自分に戻っていってることに気が付きました。
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▼この本を届けたい人
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『コンプレックス・リベンジ ~僕はいじめられっ子だった』のごくごく一部を紹介させて頂きました‼️
僕は講演会では比較的、マクドナルドの体験談であったり、独立してからの自分の経験談を中心に話をさせていただいているので、自分の子供の頃の話はあまり講演家としては話すことがなかったんです。
『コンプレックス・リベンジ』は、自分のことが大嫌いだった鴨頭嘉人がどうやってそれを受け入れていったかが記されています。
この本は、過去の辛かった自分と同じ思いを持っている人に届けたくて書きました。
今コンプレックスを抱えて苦しんでいる人や、自分に自信が持てない方、そして「もう生きてて楽しくない、辛い」って思ってしまっている人がもしいたら、本当に読んでほしいです。
『コンプレックス・リベンジ』は本日6月17日に全国の書店に並びます。
もちろん、まだまだ僕は著名な著者じゃないので地方の書店ではもしかしたら、取り扱ってない所もあるかもしれません。
しかし、もしよければ書店に足を運んでいただけると嬉しいです。
書店員さんもサービス業であり、書店員さんも夢を持って本の素晴らしさを伝えたいと思って開業された方ばかりだと思います。
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▼書店も守れるスーパーヒーロー
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オンライン化が進む中、全国の書店は大変だと思うんです。
オンライン化されると手軽に本も手に入りますがやっぱり、書店ではアマゾンのおすすめ機能では表示されないすごい出会いがあります。
それが書店の良さ、本の良さです。
だから、よかったら本屋さんでご購入いただけると嬉しいです。
もし本屋さんに在庫がない場合は書店で予約をしていただくと、ほとんどの書店で取り寄せてくれると思います!
ぜひぜひ『コンプレックス・リベンジ』をお近くの書店でお手に取っていただけるとうれしいです(≧∇≦)💓
今回は、本日発売を記念して『コンプレックス・リベンジ』の一部を紹介させていただきました‼️
また明日からは、皆さんの日常の何か気づきやヒント生きる勇気になるようなエピソードやロジックをお伝えしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします*\(^o^)/*💕💕
それでは今日という最高の一日に、、、
せーのっ!いいねー❤️
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2歳 思い通りにならないと泣く 在 まとめまとめの Youtube 的最佳解答
【まとめのまとめ】
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16歳から27歳まで付き合って、
うち6年同棲してた彼氏に
フラレたこと
私は親が離婚して父子家庭&
一人っ子だから、
早く暖かい家庭を築きたくて、
彼氏にいつもそう話していた
でも大学4年生のとき、
彼氏に
「卒業したらすぐ結婚したい」
と話したらやんわり拒否された
彼は医学部で
「あと2年は学生だからまだ無理だ」
って
彼が大学6年生のとき、
「今度こそ結婚したい」と言ったら、
またやんわり拒否された
「研修医の給料では養えないから」と
(私は専業希望)
研修医2年目のとき、
「ここまで待ったんだから
早く結婚!」
と急かしたら、
またやんわり拒否された
「地元離れたくないんでしょ?
あと4年は異動が多いから」
って
このとき26歳だったから
ちょっと焦ってて、
じゃあ籍だけ入れて別居婚にしたい!
と主張したけど無理だった
泣いたり脅したり暴れたり
すればいつも言うことを
聞いてくれたのに、
この時は困った顔をされただけだった
それから彼は異動になり、
車で二時間の遠距離になったけど、
いい奥さんアピールをしようと、
お弁当を作ったり、
会えないときは惣菜を
クール便で送ったりした
不安だから婚約だけでもしたい!
と頼み込んで親に会わせて
もらったり、
式場の下見にも連れていって、
27歳の誕生日に絶対
プロポーズさせようと思って、
いろいろ外堀を埋めた
けど、誕生日は普通の
お祝いで終わりだった
私は泣き叫んで暴れたけど、
彼はため息をついて
「そういうところが嫌。
養えないなら私も働く!
って思わないの?
地元を離れても着いて行く!
って何で言ってくれないの?
自分の思い通りにならないと
泣くのもうんざり。
帰って」
といわれて、後日電話でフラレた
何度も掛けてごねたけど、
もう異動だから住所も教えない!
病院に来たら通報する!と言われて
せめて友達でいて欲しいと妥協して、
泣く泣く別れた
それから 1年後、彼が結婚
したとブログで知った
さらに1年後の先月、
息子が産まれたと知った
私とは何だかんだと理由を
つけて結婚しなかったくせに、
他の女と即結婚するって…
裏切られた気持ちで
いっぱいなんだけど
別れるときにしか言ってないなら
ちょっと察してすぎるかも
しれないけど、
彼は正しいよね。
突撃して暴れてきてwww
暴れ方が足りなかったんだよ!
まだ遅くないから乗り込んで暴れて!
早く!
>私とは何だかんだと理由を
つけて結婚しなかったくせに、
他の女と即結婚するって…
>裏切られた気持ちで
いっぱいなんだけど
他の女と即結婚というより
貴女とは結婚
したくなかっただけでしょうよw
振られて辛いのは分かるけど
自分を見つめ直した方がいい。
未練があって別れた男と
友達なんて絶対無理だから、
さっさと全部の連絡手段を
切って進んだ方がいいよ。
元カレが自分以外の人と
幸せな所なんて見ても自虐
行為でしかないよ
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